左:フランクフルトの楽屋風景 右:アルテオーパーの夕景
に極めて魅力的な「エレジー」と2曲目は1962年生まれ、同じ日本人和田薫の「土俗的舞曲」である。こちらはとりわけ洗練されたアインザッツが極東の時の鐘の印象を与えた。 (フォン・ヴェルナー・マテス ノルドヴェスト新聞) 訳 宮澤昭男
情熱と官能性
日本フィルハーモニー交響楽団、多大な感銘を与える
ヴィルヘルムスハーフェンのコンサート聴衆は日曜日、シュタットホールで二人のただならぬ音楽家と知り合うことが出来た。指揮者の広上淳一と、女性ヴァイオリニストの渡辺玲子である。 広上淳一に匹敵する人物は思い浮かばない。彼は38歳、身振り・ジェスチャーの才能と精力的という点で抜群である。彼が指揮する日本フィルハーモニー交響楽団には身振りによるきめ細かな言葉というものがあり、どんな小さな音にも,それらを表すシンボルのようなものがある。さまざまな和音には、紙切れ一枚をはじくような音から、指でなでるような弱奏,および飛び上がるほどのフィナーレまで用意されている。その間演奏者は、きびきびした身振りの彼らの指揮者に従い、その正確さたるや並はずれている。 マニュエル・デ・ファリャのバレエ音楽「三角帽子」(メゾソプラノのボーニャ・バルトーシュが、柔軟性のある運声法と独特の魅力ある音質で期待に応えた)では,あるいは音の面で、いくらか意味深長さに欠けていたかも知れないし、演奏が少し素直すぎたのかも知れない。が、しかし舞踏的な要素となかんずくストレッタで。オーケストラが素晴らしい仕上がりを見せた。 エドワルド・ラロの、ヴァイオリンとオーケストラのためのスペイン交響曲二短調作品21では、官能的なヴァイオリン演奏の独壇場となった。まだ若い渡辺玲子ではあるが、彼女はセンチメンタルな旋律と装飾音豊かな飾り立てを見事に混ぜ含わせ,また内面的な静けさと噴出するような情熱の混合がずば抜けてうまい。そしてどんな色合の音階スケールでもこの若き女性芸術家の意のままになり、そのアーティキュレーションは素晴らしく彫り刻んだように鋭い。またどんなに難しい早い進行ですら、難なくこなす印象を与える程である、しかしながら、彼女には名人芸をひけらかす印象はまったく見受けられない。彼女の場合、音楽は楽器との融合を表わすものなのである。このようなことを、若い芸術家に経験することはめったにない。 広上淳一とそのオーケストラは、ニコライ・リムスキー=コルサコフのスペイン綺想曲を使い、洗練された音響,並びに各楽器群の音楽的能力を発揮しようとした。はっきりしたことは。日本フィルハーモニー交響楽団には優れたクラリネット奏者ないしフルート奏者がいるというだけではないことである。魅力的なのは、広上の能力及び最大音量のフォルテのときでさえ、常に透明さや柔軟性を提示するその音響バランスの調整にある。そしてこの小さな男が、とうやらこのフォルテに惚れこんでいるようだという事を、彼の空中飛びが物語っている。聴衆の感激の拍手に応え,二つのアンコールが演奏された。フーゴー・アルベーンの「エレジー」と和田薫(1962年年まれ)の「土俗的舞曲」である。 (ノルベルト・チィ一ズ ウィルヘルムスハーフェン新聞) 訳 宮澤昭男
【5月7日 フランクフルト】
演奏会チケットが90DMと、ドイツでは破格の値段にもかかわらず、2400の客席が満席になるほどの盛況ぶり。演奏は「まとまった、今までで一番よい出来」。1曲目のべートーヴェンだけで、広上氏が3回もステージに呼び返されたほどでした。(編集部)
日本のオーケストラが来独しても演奏回数の少ないと言われるアルテオーパーでのコンサートが最上階まで満席だったのは、正直言ってびっくりでした。客層も上品で華やかな雰囲気の中、ミュンヘン・べ
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